人は感情で行動をする
私はとてもドライな人間です。
そんなことを言う人でも結局、
感情で物事を判断している。最終的には。
私の場合は
言っていることと行動の結果が異なる人は
信じることができないとよく言っています。
そんな人は嫌いになって会わなければいいのに
結局は嫌いになれないで連絡をしてしまって後悔をしたことが何度もあります。
どんなに冷静に論理的な理屈を並べても
過去の経験や感情が最終的な行動という結果を
動かしている。
どうしてそんなことをブログに書いたのかというと、ふと子供の頃の思い出が蘇って、その時の感情がこのように書くという衝動を動かしていているのだと思う。
それは私が17歳の頃だったかな。
当時の両親は仲が悪く、いつも喧嘩をしていた。
父は離婚をしたがっていて、母は離婚を拒否していた。
私が小さい頃は喧嘩はしても仲は良かった。
父の良いところ悪いところ、母の良いところ悪いところをいつも見ていた私はふたりの相性が悪いのも知っていた。
いよいよ父が離婚に対して本格的に動き出した時、私は母がまだ父のことを好きなのがわかっていたので、私が父を止めたら心が変わるかもしれない、そんな期待をしていたのだと思う。
父に1通の手紙を書いて車の運転席に置いた。
『お父さんの離婚したい気持ちもわかる。だけど、お母さんはお父さんのこと愛してるから、離婚しないで欲しい』
そんな内容だったと思う。
けれど、父からの返事はなく、離婚するという行動は変わらなかった。
両親が離婚をすることを知った叔父が電話で言った一言が忘れられない。
『なんで一度も俺に相談しなかったのか?』
叔父は両親の問題を知っていたはずだ。
それに叔父が1番感情的で
お酒を飲まなければ何も言えない弱い心を持っていて、お酒を飲むと強気になる。
そして、その時も言っていることと行動が伴っていない叔父に涙を流しながら、『言えなかった』と伝えた私。心の中で叔父には何も期待していない自分がいたから言えなかったなんてとても叔父には言えない。
その時の経験が、歳を重ねる私の人生に影響してきたし、今では私の好きなストーリー。
どんなに説得しようとも
人の心には答えが既にあって、それを変えることは難しく、その人がやりたいということを応援した方良く、その結果は自分が責任を取るべきだと思ったわたしの子供ながらに感じた思い出は話。
人は自分のバランスを安定させる為に
潜在的な感情が最終的に判断している
私もそうだし、みんなそう。
そしでこれは世界共通で
AIのように0か1ではないから、
人間の悪いところでもあり、それが人生に深みをもたらしてくれる良いところ。
これは見方を変えれば、
本当の気持ちは結果が示してくれるから
焦る必要なんてないのだ。(と自分に言い聞かせている私の存在がいることも知っている)
どんな結果であれ、感情に勝るものはないし
その結果がどんなであれ、傷つき傷つけることもある
そんな時に私がつぶやく一言がある
“人生は受け入れ作業の繰り返し”
人で生まれてこれたからこその心の抑揚
私自らがそれを楽しみ
深い人になれたらいいなと私は思う